2006年07月07日   東急文化会館 五島プラネタリウム

プラネタリウムは近年、年々入場者数が減少し、採算も取りづらくなってきたと聞いています。東京渋谷の五島プラネタリウムも、2001年3月に歴史を閉じたのでしたが、私はその閉館直前に別れを告げに最後の投影を見に行きました。
大勢の天文ファン、中高生から年配〜老夫婦も来ていました。皆、ここでたくさんの思い出をもらった人達だったのでしょう。「普段このくらいにぎわっていたら無くならなかったのに」そう言えばかつて「恋人たちに贈る星と音楽のしらべ」という様な特別プログラムがありましたっけ・・・最後でしたので、失礼してドームど真ん中で写真を撮りました。本来でしたら撮影禁止なのですが・・・黙認してくれました。
プラネタリウム投影機本体のシルエット、懐かしいですね・・・

そして東急文化会館の建物も再開発を理由に解体されました。ドームの写真は解体直前の2003年6月に行った時のものです。・・・ちなみに私は渋谷で生まれました。

「揺れる歩道橋」がある駅前から、歩いて5分位のところに実家が ありました。当時はまだ路面電車が走っていて、現在バス亭の有るところが全面その停車場でした。高速道路も出来たばかり。そして、幼少の頃に、目の前にあるプラネタリウムは絶好の娯楽施設。親に何度か連れていってもらい、それが星空に対する原体験になったのは言うまでもありません。渋谷は昔から街明かりで星は見えませんでしたから、私は天体観測をバーチャル体験から入ったことになります。

例え人工的な星空でも、子供心にいろいろなイマジネーションを与えてくれました。これはとても大事なことです。最初に良い印象が出来ると、自然にその後の行動に繋がります。結果、今でも天文に関心が続いているのですから・・・いろいろな関心事、思い起こせば、それぞれに何かしらの「きっかけ」があったのだと思い出すこの頃です。

そう言えば、意外と知られていない様ですが、渋谷区のプラネタリウムは、旧大和田小学校跡地(渋谷区桜丘町23-21)に新しく建設が予定されています。完成予想図も公開されていますが、その外観はなんとなく、旧東急文化会館に似ていますね。平成21年の開館予定・・・その日が楽しみです。


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2006年12月23日   秋葉原 ヨドバシカメラ

秋葉原の今昔の一枚です。

ヨドバシカメラは昔からお世話になっている総合家電量販店です。以前は東京新宿西口の本店によく行っておりました。次が錦糸町にある店舗です・・・何よりも品揃えが豊富なので、買い物が多岐に渡る場合でも店内を回るだけで済んでしまう。小さなカメラ店では置いていない機材や あまり売れそうにないマイナーな商品の在庫を探すにもここが一番便利?・・・

そんなヨドバシカメラが昨年9月16日に、オタクのメッカ アキバにオープンしたのでした。日本全国で最大規模だそうです。私としては 新宿や錦糸町よりも秋葉原の方が利用しやすいので、朗報でしたね。その日は丁度仕事の帰り際に寄り、入り口まで近づき・・・人の多さに驚いて断念して帰った・・・その時の一枚(下)ちなみに、小さな量販店にとっては大変な脅威でしょう・・・一年経ってみると、近くの店はやはり影響を受けて変化しています。

新しい建物が建ち、しばらく見ているとそれが日常になります。しばらくするとすっかり当たり前の風景になり、過去を忘れてしまう・・・写真上は2001年5月、真ん中は今日 撮ってきた同じ場所。もの凄い変わり様でしょう。どちらもJRのホームから撮ったものです。

秋葉原ヨドバシカメラ周辺の一画は、この数年で大規模開発が進み激変しています。JRの線路を挟んで反対側は、秋葉原UDXなるIT企業を中心にした高層ビルが建ちました。ここはかつて、物流の倉庫や神田青果市場〜駐車場があった場所です。廃墟の様な古びた建物と、効率の悪い駐車場は秋葉原の裏側の様でした。現在、筑波エクスプレスの開通もあって、ビジネスマンが多く立ち寄る様にもなり、人の流れさえ変わった。新旧剛柔安危と相反する要因が交雑する不思議な地域となっています。

とても不思議な街です。


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2007年06月17日   渋谷 今は存在しない視界


2003年に解体された東京渋谷の東急文化会館。

今は新しい建物の基礎工事が続けられていますね。
その前を時々通り過ぎていますが、
かつて日常的に見ていた光景の記憶は少しずつ薄れて行きます。
かつて見ていたハズなのに 細かいディテールがだんだんぼんやりして来ました・・・

時折、昔撮った写真を眺めることがあります・・・
「そうそうこんな感じだった」

そう思いながら、その感触も少しずつ風化していく様な・・・
カラー写真なのにモノクロかセピア色に近づいている様な錯覚。
そうして何時しか新しいものに置き換わってしまい、
思い出は遠い過去に沈んでいきます・・・


東急文化会館・・・
その建物があった視界、その屋上から見えたかつての視点は今はもう存在しません・・・


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2006年10月26日    四谷 文化放送 旧社屋

今年の7月末に、東京四谷にある民放AMラジオの文化放送が社屋の移転をしました。文化放送は浜松町の新社屋に移りました。そして旧社屋建物は取り壊されることに・・・この建物はもともとカトリック修道院「聖パウロ修道会」だったものを、文化放送が譲り受けて改築し使用していたもの。 元々が教会だったため、建物正面にはステンドグラスが埋め込まれています(写真ではすでに布がかけられていて殆ど見えない)

たまたま車でこの建物の前を通り過ぎたこともあったので、その存在は以前より知っておりました。サラリーマン時代には会社の車を運転しながら、よく文化放送の吉田照美の「やる気まんまん」を聞いていました。今も続いているのですから相当な長寿番組です。それ以来、文化放送を聞くことが増え、この放送局にはそれなりに愛着があります。ここからその放送が発信されていた訳です。

先日、電車で四谷を通り過ぎる時にふと思い出しました。「文化放送の旧社屋を取り壊しているはず」 もう二度と見ることが出来なくなる風景なので、一目見ておきたくなり、四谷駅でおりました。十数年ぶりに訪れたその場所には、すでに解体されかけているかつての建物がありました。跡地にはマンションが建つ予定だとか・・・ここには恐らく二度と尋ねる理由は無いことでしょう。

写真を撮って、消えゆく風景に別れを告げてきました。


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2006年12月10日   JR渋谷 駅前バスロータリー

「写真は記録だ」という事を証明する「最高の一枚」に出会いました。

その写真は、現在を知っている者にとっては驚きを感じざるを得ません。昔を写したものなので、懐かしいというべきものなのですが、記憶にない映像なのでそうも言えません。

場所は東京の「渋谷」
今の西口のバスターミナル付近です。

この写真は、昨日話題に出したペンタックス67を貸して頂いた、天文サークルの会長さんが撮った写真です。以前より「東京都内の街の古い風景の記録を撮られた記憶はありませんか?」尋ねておりました所、フィルムアルバムを一冊貸して頂くことが出来たのでした。撮影した本人も、昔のライブラリー全ては把握しかねていた様なので、どのような記録があるのかは不明でした・・・

結果、中からこの様な貴重な一枚が出てきました。
時期は昭和38年の11月とあります。ちょうど東京オリンピックの準備が始まり、首都高速道路を建設し始めた頃の証拠写真なのです。・・・写真のモノクロネガフィルムは二枚ありましたが、同位置を視点をずらして撮ったものだったので、私が画像処理を加えて一枚に合成し、パノラマ写真にしてみました。

先日この写真のプリントを撮影した本人に見て頂き、感想を尋ねました。会長さんは、当時 最新の技術を駆使して建設されている高速道路の橋脚を見に行かれたのだと話してくれました。何でもアーチ型の橋脚は左右の重量を支えながら造る設計で、話題にもなったらしい。

向かって左側に国鉄の渋谷駅があります。その線路の上に高速道路がこれからかけられようとしています。道路はまだ完全に舗装されている様には見えません。こういう風景だったのですね・・・ちなみにこの写真は、撮影した本人に直接ことわってブログに掲載させて頂きました。心より感謝いたします。

私はこの写真の当時 満一歳になったばかりです。
不思議な感慨を感じます・・・

追記 12/13
同じ視点から比較する為に、出来るだけ近い場所から同位置を撮影してきました(下)視点の高さを同じにすることが出来ませんでしたが・・・


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2008年09月01日   変わらないアキバの風景

JR秋葉原のガード下の一画は 流行の波を唯一受けていない
昔のアキバです。昨年にもちょっとだけ紹介しました・・・

ここ30年程の時間の流れを見ると、個々の商品の入れ替わりは
あっても店構えとしての変化はほとんどありません。

そして ここにはバーチャルでは無い物質としての商品が並んでいます。
スイッチや半導体、LEDのソケットが一つから購入できる貴重な場所。

秋葉原の駅ビルは部分改築が進み、どんどん変貌しています。
この空間も無くなると言い続けられながら未だに存続している。

ここが消えるとと秋葉原はオタク色の街の雰囲気に塗りつぶされて
しまうかも知れません。


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2007年09月02日   現在のアキハバラ2007

今の秋葉原を象徴するひとつの風景です。
バーチャルで混沌としています・・・

いずれこれが過去のものとなるか?
それとも当たり前のものとして長らえて続いていくか?

客観的に見続けていこうと思っています・・・


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2007年09月15日   消えゆく足場

開かずの踏切で度々報道された事がある「JR武蔵小金井駅」

現在高架橋工事と駅舎の改築を行っており、日々その様子が変化していきます。
ホームの半分だけ高架化が済み、古いホームの一部が端から取り壊され始めました。

写真の解体中の階段。つい先日まで上り下りしていた場所です。
馴染みのある足場が消えていく。
そして1本だけ柱が残っている場所も・・・

やがてホームごとこの風景は消えて行くことでしょう。


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2008年04月20日   見上げる視界に変わってゆく

ここは東京のJR武蔵小金井駅前。

あまり言葉の説明はいらないものと思います・・・

上から 2003年10月3日 / 2005年4月20日 / 2008年4月19日

もうすぐこの古い駅舎も 記憶の中の一コマとなって行くでしょう。

昔 ディズニーの絵本にこんな状況の話があった様な?・・・


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2008年11月29日   旧東京中央郵便局

東京駅は現在改装工事中でその全体像が見えません。そして、その斜め向かい側に建っている かつての東京中央郵便局も今夏より改築工事が始まっています。

ここは 1931(昭和6年)に完成したもので、日本のモダニズム建築の傑作とされているらしい。郵政民営化の組織改編の動きに伴い この場所の再開発事計画が起きた時、この建造物を保存する運動が起きたとか・・・戦禍をも免れた歴史的価値が高い存在。開発と保存の両案がぶつかった訳です。

そして、どういう結論が出されたか?と言うと、何でも古い建物外観部分はその構造を残しつつ、この上に近代高層ビルをまんま乗っけたデザインでリファインするらしいのです・・・テレビのニュースでその完成図が報道されていたのを見ました。役人の発想なのでしょうか?もの凄い強引な折衷案です。いくらなんでもそれは無いだろうと批判も出ているとの事ですが、私もそう思います・・・

2011年に、へんてこな形のビルに生まれ変わる予定です。古い外観のみが拝めるうちに写真を撮っておきました。アンバランスなデザインでも、しばらく見続けていたら恐らく慣れてしまうのかも知れません!?


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2009年01月24日   今日限りの風景

私が仕事でよく降りるJR駅は、現在 数年間かけて駅舎の改築中です。

改築中であっても営業中ですので、新しい改札口は別の所に作っています。
そちらがオープンするのが明日に迫りました。
いつも使っている古い改札口は本日が最後となる予定です。

私がいつも見ていた風景の見納めになります。
そこで・・・改札口の脇からスナップを撮ってきました。
堂々とカメラを構えると普通なら怒られそうですが、
今日ばかりは注意されたらそれはそれで・・・という覚悟でパチリ。

この風景は明日以降 記憶の中だけのものになっていく事でしょう・・・


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2009年09月11日   多摩テック

何としても今月中に行っておかねばならない遊園地がありました。

多摩テック

西東京多摩地区に1961年に作られた「乗りもの」にスポットを当てた遊園地です。元々ホンダ自動車がメインスポンサーだったらしい。今でもホンダF-1マシンの展示がありました。だから・・・昔から車にはこだわりがあった訳です。子供向けの自動車「ゴーカート」の名を世間に広めたのは恐らくココでしょうね。昭和30〜40年代の景気の良い時代には、大変な人気を博していたと思います。私も小学生の時に何度か行った記憶があります・・・子供にとって時速10キロ程度でもハンドルを握って自走する車は憧れでした・・・

その多摩テックが今月いっぱいで閉園になります。

二度と見ることが出来なくなるので、どうしても行っておきたくなりました。嫁さんと二人で子供向けの遊園地へ・・・行ってみると、最後の月だからか?平日にもかかわらずそこそこ親子連れが目立って、閑散としている程では無かった。軌道の上を走る乗り物が多いため、園内には様々なレールが目立つ賑やかなレイアウト。数十年ぶりに訪れると「こんな風だったっけ?」とちょっと記憶のズレが生じて戸惑いました。記憶が残っていたのは、やはりゴーカート。途中の坂道の景色に懐かしさを感じました。

丘の上にある観覧車に乗って頭上から見渡すと、そこにはかつて子供に夢を与えてくれたテーマパークの全景が視界に収まりました。子供心に夢を与えてくれた事に感謝しつつ、その風景を記憶の中に刻み込んで多摩テックを後にしました・・・

ありがとう多摩テック


ここのマスコット「コチラ」君は手塚プロダクション製のキャラクター(写真 下)
Nikon D40 Nikkor AF-S 18〜200 3.5〜5.6G プログラムモード ISO400


 


2010年05月08日   秋葉原デパート

かつて秋葉原のJRの駅舎は・・・

秋葉原デパートと一体化していて、改札を出てすぐに買い物が出来るというスタイルでした(写真 一・二番目)それは今では何処の駅ビルでも当たり前の風景ですが、秋葉原デパートがその先駆けでは無かったでしょうか。何しろ戦後からずっと続いてきた歴史的な存在でもありました。私は行きつけのジーンズショップがあって、そこでいつも買っていました。裾直しをお願いすると、店員さんが年季の入ったミシンで手早くささっとやってくれました。(写真 三番目)は閉店記念セールの時に失礼して撮らせてもらったもの。

秋葉原デパートは2002年冬に一部を残して閉店し、その後 建物は閉鎖され放置状態に・・・その間に、ご存じの様に秋葉原は電気街からオタクの街に変貌して行きましたね。懐かしかった古き良き時代の風景がそこで消えて行きました。それは仕方のないことですがやはり寂しいものです。

現在秋葉原の駅舎は改築が終盤にさしかかり、秋葉原デパートのあった部分に手を入れている状態です(写真 四番目)いったいどのようなショッピングモールが出現するのでしょうか?そして・・・現在でもわずかに残っている「ガード下の一角」は風前の灯火。そこが無くなったら私の中での秋葉原は全く別の顔になってしまうでしょう・・・

そう言えば、お隣のお茶の水駅も、10年以上前から駅ビルの計画が持ち上がっては延期になっています。そちらもそろそろという感じがしますが、どうなりますでしょうか・・・




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2011年01月10日   ドカン

初期のドラえもんの描写には、子供達が広場(空き地)で野球やサッカーなんかをしているシーンがあくさんあった。そしてジャイアンがのび太を見下ろすに都合の良い足場が描かれている。それが土管であったのは、かつてあった日常の風景?

なんで空き地に土管が積み上げられているのか?それは日本が高度成長時代で、都市部でも至る所に建設資材の山があるのが珍しく無かった為です。置き場所が足りなくて私有地や公園の中にまでもたくさん積まれていたのだと思われる。そして土管はその象徴だったのです。実際に私も、近所の空き地に土管が積んであるのを見た事があります。ただし・・・土管の山が崩れたりすると危ないので、立ち入り禁止の柵で囲まれておりました。そう簡単にてっぺんに登ることは叶わなかった・・・漫画の世界には多少のウソが描かれていますね?また、土管は植木鉢の色の素焼きのものと、コンクリート製の直径の大きなものがあったと思います。後者は本来土管とは言わないのかも知れない。でも私たちは「ドカン」として呼んでいましたのでそう書かせてもらいます。

その懐かしいドカン(コンクリート製)と思われるものが、まだ身近の空き地に残っている所がある。以前より気にかけておりました。その空き地も端から少しずつ駐車場に浸食され、遠くない日に消えてしまうかも知れない。なので、記録を撮って来ました。

ドカンを見ながら、空き地で遊んだ子供時代。初代ウルトラマン15話「恐怖の宇宙線」で、子供達の落書きが怪獣ガヴァドンに変化する話がある。そのエピソードでも、壁やドカンに落書きする風景が確かあったな・・・小学生時代にテレビゲームが無かった私の世代には、それが単なる建設資材には見えず、楽しい記憶に結び付いたものなのでありますね・・・


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2011年7月19日   秋葉原 ラジオ会館

今日は所用があって久しぶりに秋葉原へ出かけました。

JRの改札を出る時にふと思い出した事がある。
ラジオ会館が今年の夏に閉館するという話があったっけ・・・
急に気になったのでちょっと様子を見ようと足を向けました。

すると案の上、ほとんどの店舗はすでにシャッターが降りていた。
かろうじて一階の通路に面したオーディオショップのみが営業中。
自分が学生の頃からずっと見て来た馴染みの風景は、既に記憶の
彼方にあるもののみとなっておりました。

秋葉原がどんどんオタクの街へと変貌していく中、
かつての面影を残すのは、JRガード下のジャンクエリアと
横断歩道を渡った向かい側のビルの一部の店舗のみか。
これも時代の流れなのでしょうが、古き良き時代の名残が
どんどん消えていく様には言いしれぬ寂しさを感じずにはおれません。

もう少し記録写真を残しておけば良かったと脳裏をよぎりましたが、
その見ていた風景が「日常のもの」と認識しているうちには
なかなかレンズを向けることも無いのですよね。




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2012年02月29日   防火水槽

昨日 地元漁港の港町界隈を歩いていた時に見かけました。
丸形のコンクリート製防火水槽

これは私が小学生の時に良く目にしていた型だ!
なんと懐かしい。
消化器の設置がまだ珍しかった時代の遺物です。
雨どいの水をここに落として溜めている家もありましたっけ。
(これも何だかソレっぽいな?)

私は・・・かつて「ここ」に採ってきたザリガニなんかを放して
毎日小学校の行き帰りに眺めていたりなんかもしてました(笑)

今は遠い記憶の彼方にある視界・・・
それが急に目の前に現れるとタイムマシンに乗った気分になります。



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2012年5月25日   その後の秋葉原ラジオ会館

昨年閉館した秋葉原ラジオ会館。私は中学生の頃からよく訪れてお世話になっていた秋葉原の顔でした。建物自体が老朽化して耐震性も怪しくなって来たらしく全館を閉鎖して取り壊し再開発へ・・・恐らく新しい拠点としての素晴らしい建物が造られる事でしょう。でも、古き良き時代の昭和の風景は確実に減って行き、その頃の臭いなどは一掃されつつあります。

毎回思うのは、新しくなるとそれがどんなに優れたものであっても親しみを感じる空間に必ずなるとは限らないこと。特にオーディオからパソコンの街へ、そしてサブカルチャーの拠点にスライドして来たアキバの雰囲気は確実に違う顔へと変わっていくもの。それが自分にとって心地良いかどうかはまた別の話だと思われますね・・・



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