2009年09月11日 多摩テック
何としても今月中に行っておかねばならない遊園地がありました。
多摩テック
西東京多摩地区に1961年に作られた「乗りもの」にスポットを当てた遊園地です。元々ホンダ自動車がメインスポンサーだったらしい。今でもホンダF-1マシンの展示がありました。だから・・・昔から車にはこだわりがあった訳です。子供向けの自動車「ゴーカート」の名を世間に広めたのは恐らくココでしょうね。昭和30〜40年代の景気の良い時代には、大変な人気を博していたと思います。私も小学生の時に何度か行った記憶があります・・・子供にとって時速10キロ程度でもハンドルを握って自走する車は憧れでした・・・
その多摩テックが今月いっぱいで閉園になります。
二度と見ることが出来なくなるので、どうしても行っておきたくなりました。嫁さんと二人で子供向けの遊園地へ・・・行ってみると、最後の月だからか?平日にもかかわらずそこそこ親子連れが目立って、閑散としている程では無かった。軌道の上を走る乗り物が多いため、園内には様々なレールが目立つ賑やかなレイアウト。数十年ぶりに訪れると「こんな風だったっけ?」とちょっと記憶のズレが生じて戸惑いました。記憶が残っていたのは、やはりゴーカート。途中の坂道の景色に懐かしさを感じました。
丘の上にある観覧車に乗って頭上から見渡すと、そこにはかつて子供に夢を与えてくれたテーマパークの全景が視界に収まりました。子供心に夢を与えてくれた事に感謝しつつ、その風景を記憶の中に刻み込んで多摩テックを後にしました・・・
ありがとう多摩テック
ここのマスコット「コチラ」君は手塚プロダクション製のキャラクター(写真 下)
Nikon D40 Nikkor AF-S 18〜200 3.5〜5.6G プログラムモード ISO400
2010年05月08日 秋葉原デパート
かつて秋葉原のJRの駅舎は・・・
秋葉原デパートと一体化していて、改札を出てすぐに買い物が出来るというスタイルでした(写真 一・二番目)それは今では何処の駅ビルでも当たり前の風景ですが、秋葉原デパートがその先駆けでは無かったでしょうか。何しろ戦後からずっと続いてきた歴史的な存在でもありました。私は行きつけのジーンズショップがあって、そこでいつも買っていました。裾直しをお願いすると、店員さんが年季の入ったミシンで手早くささっとやってくれました。(写真 三番目)は閉店記念セールの時に失礼して撮らせてもらったもの。
秋葉原デパートは2002年冬に一部を残して閉店し、その後 建物は閉鎖され放置状態に・・・その間に、ご存じの様に秋葉原は電気街からオタクの街に変貌して行きましたね。懐かしかった古き良き時代の風景がそこで消えて行きました。それは仕方のないことですがやはり寂しいものです。
現在秋葉原の駅舎は改築が終盤にさしかかり、秋葉原デパートのあった部分に手を入れている状態です(写真 四番目)いったいどのようなショッピングモールが出現するのでしょうか?そして・・・現在でもわずかに残っている「ガード下の一角」は風前の灯火。そこが無くなったら私の中での秋葉原は全く別の顔になってしまうでしょう・・・
そう言えば、お隣のお茶の水駅も、10年以上前から駅ビルの計画が持ち上がっては延期になっています。そちらもそろそろという感じがしますが、どうなりますでしょうか・・・
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2011年01月10日 ドカン
初期のドラえもんの描写には、子供達が広場(空き地)で野球やサッカーなんかをしているシーンがあくさんあった。そしてジャイアンがのび太を見下ろすに都合の良い足場が描かれている。それが土管であったのは、かつてあった日常の風景?
なんで空き地に土管が積み上げられているのか?それは日本が高度成長時代で、都市部でも至る所に建設資材の山があるのが珍しく無かった為です。置き場所が足りなくて私有地や公園の中にまでもたくさん積まれていたのだと思われる。そして土管はその象徴だったのです。実際に私も、近所の空き地に土管が積んであるのを見た事があります。ただし・・・土管の山が崩れたりすると危ないので、立ち入り禁止の柵で囲まれておりました。そう簡単にてっぺんに登ることは叶わなかった・・・漫画の世界には多少のウソが描かれていますね?また、土管は植木鉢の色の素焼きのものと、コンクリート製の直径の大きなものがあったと思います。後者は本来土管とは言わないのかも知れない。でも私たちは「ドカン」として呼んでいましたのでそう書かせてもらいます。
その懐かしいドカン(コンクリート製)と思われるものが、まだ身近の空き地に残っている所がある。以前より気にかけておりました。その空き地も端から少しずつ駐車場に浸食され、遠くない日に消えてしまうかも知れない。なので、記録を撮って来ました。
ドカンを見ながら、空き地で遊んだ子供時代。初代ウルトラマン15話「恐怖の宇宙線」で、子供達の落書きが怪獣ガヴァドンに変化する話がある。そのエピソードでも、壁やドカンに落書きする風景が確かあったな・・・小学生時代にテレビゲームが無かった私の世代には、それが単なる建設資材には見えず、楽しい記憶に結び付いたものなのでありますね・・・
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2011年7月19日 秋葉原 ラジオ会館
今日は所用があって久しぶりに秋葉原へ出かけました。
JRの改札を出る時にふと思い出した事がある。
ラジオ会館が今年の夏に閉館するという話があったっけ・・・
急に気になったのでちょっと様子を見ようと足を向けました。
すると案の上、ほとんどの店舗はすでにシャッターが降りていた。
かろうじて一階の通路に面したオーディオショップのみが営業中。
自分が学生の頃からずっと見て来た馴染みの風景は、既に記憶の
彼方にあるもののみとなっておりました。
秋葉原がどんどんオタクの街へと変貌していく中、
かつての面影を残すのは、JRガード下のジャンクエリアと
横断歩道を渡った向かい側のビルの一部の店舗のみか。
これも時代の流れなのでしょうが、古き良き時代の名残が
どんどん消えていく様には言いしれぬ寂しさを感じずにはおれません。
もう少し記録写真を残しておけば良かったと脳裏をよぎりましたが、
その見ていた風景が「日常のもの」と認識しているうちには
なかなかレンズを向けることも無いのですよね。
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2012年02月29日 防火水槽
昨日 地元漁港の港町界隈を歩いていた時に見かけました。
丸形のコンクリート製防火水槽
これは私が小学生の時に良く目にしていた型だ!
なんと懐かしい。
消化器の設置がまだ珍しかった時代の遺物です。
雨どいの水をここに落として溜めている家もありましたっけ。
(これも何だかソレっぽいな?)
私は・・・かつて「ここ」に採ってきたザリガニなんかを放して
毎日小学校の行き帰りに眺めていたりなんかもしてました(笑)
今は遠い記憶の彼方にある視界・・・
それが急に目の前に現れるとタイムマシンに乗った気分になります。
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2012年5月25日 その後の秋葉原ラジオ会館
昨年閉館した秋葉原ラジオ会館。私は中学生の頃からよく訪れてお世話になっていた秋葉原の顔でした。建物自体が老朽化して耐震性も怪しくなって来たらしく全館を閉鎖して取り壊し再開発へ・・・恐らく新しい拠点としての素晴らしい建物が造られる事でしょう。でも、古き良き時代の昭和の風景は確実に減って行き、その頃の臭いなどは一掃されつつあります。
毎回思うのは、新しくなるとそれがどんなに優れたものであっても親しみを感じる空間に必ずなるとは限らないこと。特にオーディオからパソコンの街へ、そしてサブカルチャーの拠点にスライドして来たアキバの雰囲気は確実に違う顔へと変わっていくもの。それが自分にとって心地良いかどうかはまた別の話だと思われますね・・・
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